「手紙」私的映画考Vol.52
先日、「手紙」を観てきました。東野圭吾原作(「宿命」「変身」「分身」)。生野慈朗監督作品。
東野作品が好きなので、原作小説を先に読んでから映画を観ることにしています。この作品も先に小説を読んでから映画館へ行きました。
直貴(山田孝之「タイヨウのうた」「白夜行」)は、親もなく、兄・剛志(玉山鉄二「逆境ナイン」「NANA」)は強盗殺人の罪で服役中。直貴は高校はようやく卒業したが、大学進学は諦め、働いていた。二人は手紙をやりとりしていた。しかし、直貴は強盗殺人犯の兄をもつと言うことがしれると、差別を受け、仕方なく転職、引越を繰り返していた。お笑い芸人になる夢もたたれ、愛する人との交際も止められ、何もかもを諦めていた。
自暴自棄になる直貴を支えるのは長年、彼を見つめ続けていた由美子(沢尻エリカ「タイヨウのうた」「1リットルの涙」「パッチギ!」)だった。二人の関係も微妙ですが、つかず離れず静かに愛を深めていきます。
味のある脇役陣がなかなか良いです。吹越満、風間杜夫、杉浦直樹の3人は良かった。登場シーンはわずかですが、その少ないシーンの中でも存在感を表していました。特に吹越と杉浦はポイントになる役柄なので注目です。「差別のない国を探すんじゃない。ここで生きるんだ」と言う台詞が印象的。
手紙をやりとりする部分に、映像がイメージとして重なる事によって、より想いが鮮明になります。それと、手書きの文字が、より悲しさ、切なさを増しています。小説では当然、活字ですから漢字の少なさは分かりますが、文字の稚拙さや丁寧さは伝わりません。映像にすることにより、その辺りがより明確になっていく演出効果もあります。
泣き所は後半にやってきます。小説を読んだときも「最後の手紙」のシーンでウルウルっと来ましたが、映画の時も同じシーンでウルウル来ました。良いシーンでした。
そして、感動のラストシーン。小説では歌手、映画ではお笑い芸人と違う立場での慰問になりますが、映画は映画で良いシーンになっていると思えます。しかし、小説と映画ではラストの印象・意味合いが違うように思いました。ここは、観ている人の感性や、人生経験などによって受け止め方が違うかもしれません。
最後に流れる小田和正の「言葉にできない」が実に良い。感動を煽ります。「イマジン」でも良いのでしょうが、それこそ意味合いが変わってくると言うモノです。
小説と映画は全く違うモノとして受け止める事が大切です。そして、その違いを云々するよりも、それぞれテーマ、それぞれの良さを味わう事が肝要かと。いずれにしても、どちらも感動的な作品になっています。
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