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2007/05/12

伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」

今日、ご紹介するのは伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」です。「ラッシュライフ」「重力ピエロ」と読んで、すっかり伊坂作品の魅力に惚れてしまいました。3冊目に読んだ「オーデュボンの祈り」で、さらに惚れ直しました。本作が伊坂幸太郎のデビュー作。

主人公の伊藤は仙台の先の牡鹿半島の沖にある荻島にいた。なぜ居たかと言えば、気付いたらそこにいたのだ。ある意味、現実逃避。仙台には居られずに逃げてきたのだ。その島は奇妙な島だった。150年ほど前から外の交流を絶っていたのだ。

島に住む人々がまた奇妙だった。嘘しか言わない画家、詩集を読み銃を持つ男、地面に耳を付けて音を聞くのが好きな女の子、身動きの取れないほど太りすぎた市場の女、等々。でも、一番奇妙なのは田んぼの真ん中に立つカカシ。そのカカシはしゃべるどころか、未来を知ることができるのだという。そのカカシは優午と言った。

日常から逸脱するなら、どうせ現実逃避するなら、こんな島に行くのも良いかもしれない。確かに、実社会とは少しずつ食い違っていることも多く、最初は戸惑うことが多いかもしれない。でも、そこは暖かく、優しく、そして、ゆったりとした時間が流れているように思えます。

しかし、本書の魅力はミステリーとしての醍醐味が存分に味わえること。物語の序盤で未来が予測できるはずのカカシの優午が殺されてしまうのです。擬人化されたというより、1人の人間としてのカカシが殺されるのだ。未来が見えていたのにもかかわらず。なぜ?

伊藤と共に物語を進めていくのは日比野。案内をかってでた日比野は伊藤を連れて島を歩きます。そこで、出会う人々。日比野自身も過去を背負って生きていますが、島の住民たちも当然、過去やトラウマを背負って生きています。そして、皆、それぞれがカカシの優午との関わり合いを持っていました。

島に昔から言い伝えられていた言葉。「この島は何かが欠けている。それを誰かが置いていく」と言うモノだ。いったい何が欠けているというのだ。何もないようで、何もかもあるようで、満たされているようにも思えるのに。この疑問は、常に頭の隅にあります。

そして、リョコウバト。オーデュボンは実在した人物。億単位で飛んでいたリョコウバトを見つけた人物。その動物学者の祈りは届かなかった。リョコウバトは次々と狩りの獲物となった。そして、絶滅。なぜ?亡くなった後も、祈りは続いた。この島でも。

伊藤の出会った人々、経験したこと、過去。それが、ひとつに繋がるとき。神様のレシピが見えてきて、そして、感動的なラストへと続きます。「あの丘に行こう」。現実から離れたとき、見えてくるモノがあるのです。それは、素敵なこと、素敵な世界、素敵な時間に違いありません。人間、まだまだ捨てたモンじゃない。

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